【.:♪*:・'゜プチな思い出.:♪*:・'゜】
思い出というほど語れるものではないのですが・・・
最近子供(6ヶ月)と接していてると、ふと母にしてもらったことを
思い出します。
寝る前に体をトントンと叩いてもらうとなんだか心地良かったこと、
音痴(笑)でも妙にお母さんの歌声が気持ち良かったり。
頭をなでなでしてもらうとこれまた安心するのか気持ち良くって♪ニンまり(o^o^o)
そして今、母がしてくれたことが我が子にも自然と出来てることに
「なんだか私もちゃんとお母さんしてるんだなぁ〜」なんて自画自賛♪
それと同時に懐かしく思い、子供と一緒に過ごす毎日が心地よく幸せ
を感じる今日この頃ですヾ(〃^∇^)ノ♪
でもこんなこと母に直接話すのなんて恥ずかしくって(;^_^A
このような場で語れたことを嬉しく思います!
この気持ち、我が子にも継いでもらいたいものです。。。
私の母は、身体が弱かったせいか、好き嫌いが多くて
食べられる物が限定されていました。
その中で、みかん類が好きで、いつも皮を剥いて
美味しそうに食べていた姿が懐かしく思い出されます。
中の白い筋を丁寧に取って食べていたのですよね〜。
私も母の影響でみかん類が大好きで、やはり、筋を丁寧に
取っています。
母が亡くなって10年以上経ちますが、母の香りは
みかんの香りのような気がします。
(のぐちまるみさん)
母との思い出それは母と一緒にいると何でもうまくいくことです。
車の免許の試験を受けたときも祖父と行った時は落ちたのですが
母と行くと合格し、短大の受験のときも落ちたら就職すると約束
したのですが母と一緒に行ったら受かったのです。
絶対結婚しないと思っていた一人っ子の私が嫁に行き、じきに妊娠
したものの切迫流産と診断されて、ずっと実家で静養していた時、
母は、お腹の子供に向かって
「これだけあんたの母ちゃんの世話を しているんだから、
私のことをおばあさまとお呼び」
と話しかけていました。
今、話しかけられていた子は5歳になり、おばあさまに会う度に
わざと「おばば」と呼んでいます。
(ミュウパセリさん)
母との思い出〜〜ありきたりですが、子供の頃に母の日にお金のない
私は「お手伝い券」を作って、お皿洗いや肩たたきをしたのを覚えて
います。
うちの長男も5歳。
あと、何年で、同じような母の日のプレゼントをもらえるのかしら???
母は私の一人息子の長男が産まれた直後に他界し、すでに四年が
すぎました。
そんな母との思い出は、「こたつでみかんを食べた事。」です。
ありきたりのような光景ですが、私にとっては大切な時間であった
事に今頃気がつきました。
なぜなら、のんびり皮をむいたり一粒一粒食べた時間は、唯一母と
向き合えた自然なゆとりの時間であったからです。
やはり、心のこもった弁当を毎日作ってくれたことでしょう。
母の思い出といっても、もちろん健在ですので、みかんにちなんだ事で、
特に印象の強い事に絞りたいと思います。
私も静岡在住という事でみかんが採れる地域に住んでおり、子供の頃
は親戚の家へ手伝いなのか邪魔をしたのかわかりませんが、みかん畑
へ収穫に行きました。
一面のみかんに喜んで採ったり食べたりするのに夢中で、疲れきって、
家に帰るとすぐに眠ってしまいました。
しかし、夜、夢にまでみかんが出てきて飛び起きて、母に話をすると
母もいっぱいのみかんが目に浮かんで眠れなかったと。笑いあいました。
子供の頃の影響で未だに母も私もみかんが大好きですが、親戚の家で
みかん作りをやめてしまいましたので、今ではそんな光景にはお目に
かかれませんが、ついみかんを食べていると、母と懐かしく話をします。
というようなことですが、文章下手ですみません。
みかん大好きですので、抽選楽しみにしています。
いつも小腹が空いたと言っては、夜中に間食で袋入りラーメンを
食ってた。それは間食じゃなくて既に食事だ。
以前世田谷区祖師谷に住んでいた頃に、日曜日に晴れると母と一緒
にお弁当を作って、多摩川まで一緒にサイクリングに行きました。
自転車を漕いで汗をかいた後に、よく八朔などのかんきつ類を食べ
たのを思い出します。
母との思い出・・・ですね。
う〜ん、改めて何と言われると困っちゃいます(^^;
そうね、小さい頃、バナナと生クリームの入ったクレープをよく
おやつに作ってくれた事かなぁ。
おやつの思い出が一番先だなんて、ダメ(笑)?
(さくらさん)
母に対する思いは、自分の年を重ねる毎に強くなります。
心配な事も多くなるからでしょうね。いつまでも健康ではないから。
自分の体も大変なのに、私の事を心配してくれる。
骨折をして、はじめて、母の苦労のほんの少ししか分かっていなか
った自分を知った。
私は足首、母は大腿部頚部の骨折。
母は愚痴もこぼさずじっと頑張った。
私はそこまで強くなかった。母の強さを知った。
今自分の娘にも、そういってもらえるようになりたい。
そんな母に優しくタンゴールをそっと渡したい。
母との思い出はありすぎて難しいです。
いつもいろいろなことについて語り合い、相談に乗ってもらっています。
幼いころ、母の勤めている保育園でピアノのレッスンを受けた後、
夕食の買い物をするついでに、Pinoのアイスを買ってもらっていた
ことを思い出します。ピアノは下手だったし、レッスンも好きでは
なかったけど、母と一緒に2人で買い物ができることが楽しみだった
記憶があります。
母の思い出:私の母は、料理上手。学校へお弁当を持っていくと
必ず友達に、「おいしそうなお弁当だね」と、うらやましがられました。
おやつは、お手製の蒸しパンや、パンのミミを揚げたもの、フルーツ
ポンチや、牛乳寒天・・・色々作ってもらいました。
今も忘れられない、母の味です。
私の高校時代、どんなに仕事が忙しくても毎朝お弁当を作ってくれ
たお母さん。私もそんなお母さんになりたいです。
子供の頃は大嫌いだった母。
たけしの母のように「 勉強しろ! 」が口癖だったから。
勉強嫌いの私になった。
今ではもう少し努力できる子になっていたかった。
結婚して変わりました。
大好きとまではなれないけど、何かと相談に乗ってもらって。
私にも、相談してくれたり。
良い関係になってます。
今年米寿を迎えた母との、遠い昔の思い出ですが、静岡へ家族旅行
に行った折旅先で知り会った方の、みかん畑に招待されて、沢山
食べた記憶があります。みかんの季節になると母はいつも、その方
を思い出してはいます。
身も知らずの方に親切にして頂き、本当にうれしかったのでしょうね。
私の母は、一度に何個も食べる父と違って、本当に甘いみかんを
1個しか食べません。
だから甘いみかんは私が管理してあげてます(^。^)
そうしないと母は食べれません。
うちは両親ともにみかん必要家族なのです。
高校卒業とともに、親戚の叔父の結婚式に向かう時の可愛らしさが
見えたことが想い出です。
父が柑橘系が好きだったのもあって幼いころの我が家には必ずと
言っていいほど柑橘類がありました。
そんな父の影響か私も大のみかん好きに(普通のみかんなら一口で
1個食べ、一回に3個くらい食べるのは当たり前。
おかげで手のひらが黄色い子供でした)
そんなある日、私が甘夏を食べたいと母に言うと、母は甘夏と包丁
を持ってきて5、6歳だった私に渡してくれました。
『何で剥いてくれないのかなぁ』と腹を立てつつも、食べたい気持ち
が先立って皮に切れ目を・・・
次の瞬間サクっと親指を切ってしまいました。
痛くて泣いた私に母は『ばかだねぇ』といいつつ絆創膏を貼ってくれ
ました。
・・・とここまではいい話ですが、その後結局母は甘夏を剥いてくれ
ず、自分で剥いて食べた覚えがあります。
おかげで包丁は切れるものと認識し、注意して使うようになったので、
小学低学年のうちに包丁は使えるようになりましたけど・・・
甘夏をみるとそのことを思い出します。それにしても、剥いてくれな
かったのは、母が単なる面倒臭がりだったのか、子供を思ってのこと
だったのか今でも不明です。たぶん前者でしょうけど(笑)
私が病気で倒れたとき、抱きかかえてくれたのを覚えています。
子供の頃、母が伊予柑を上手にむいてくれるのを見ていたのを思い出します。
母の日の思い出と言えば、手紙を書いてその内容で怒られたことです。
たぶん、母も照れ臭かったのでしょう。
贈りたいのは、甘さ最高の「せとか」。
と言っても、母はもういません。墓前に供えます。
高校1年生のとき、私は突然病魔に襲われました。
入退院を繰り返した挙句、結局長期入院に。
それが原因で留年となってしまったのですが、
その留年が決まったとの知らせが入った夜に
私は母に「学校をやめてもいい?」と訊ねてみました。
辛い闘病生活で心身ともにボロボロになっていたし
1年生を2回するということに恥かしさも感じ、
学校に行くのが嫌だったのです。
私の闘病生活を見てきた母なら
私の気持ちを察して「いいよ」と言ってくれると思ったのに、
母の口から出た言葉は「やめてどうするの?」という
私への質問でした。
私はその質問に何も答えることができませんでした。
毎日を生きることで必死になっていた私には
「現在」しか見えておらず、
「未来」を考えることができなくなっていたのです。
母の質問に答えることができないまま、再度1年生に復帰。
学校がよかったということもあり、変な目で見られることも
特別扱いされることもなく、たくさんの友達に囲まれて
楽しい高校生活を送ることができました。
しかも、1年生を2回したということで
どの教科も基礎がしっかり身に付き
3年生まで良い成績を保つことができたのです。
その結果、良い大学へも進学でき、留学までさせてもらえました。
あの夜、母が私の気持ちを第一に考えて「やめていいよ」と
言っていたら、全然違う人生になっていたと思います。
あのときは「何で私の気持ちを解ってくれないの?」などと
母を恨めしく思いましたが、今は感謝の気持ちで一杯です。
母親には子どもの未来が見えるのかもしれません。
母親の言葉一つ一つには子どもを思う心も込められているんだと
感じることができたエピソードです。
もう、遠い遠い昔話になります。私は母が40歳の時の3番目の末子
として生まれました。
母は明治生まれでしたので、私が結婚し初めての男児の孫をその手で
抱き、あやし、73歳で鬼籍に入りました。
懐かしい「母の日」の思い出は、何時も姉兄私と別々に上げていた
のですが、何度目かの「母の日」のプレゼントに私の提案で何時も
着物で過す母に3人揃って普段着の反物をプレゼントしました。
それを母は自分で仕立て着ましたが、後年「あの、針仕事はしんど
かった・・」と聞かされ、あぁ〜歳も考えず悪かったなぁ〜と、
もっと気軽なプレゼントをと・・悔やまれ、後悔の念が残ったこの
「母の日」の贈り物が一番印象に残っております。
その着物、誰にも上げられず私のタンスに30数年間眠っています。
「お母さん」っていい響き・・ですね。大好きでした。
朝から晩まで働いて休みは自分のために・・・
友達と遊びに出かけてしまう母だったのであまり思い出は
実を言うと無いんですよね(^^;)
まっそれでも一度だけクッキーを一緒に作った事があって
私が教わった唯一のことで良い思い出ですかね!!
子供の頃よく母と2人でコタツに入ってみかんを食べました。
かごに入れてあったみかんはすぐになくなり、寒い廊下に置いて
あった箱からみかんをかごに入れてくるのを母とじゃんけんで決めた
思い出があります。
9歳になる娘がいつもお手紙をくれるのが嬉しいです!
楽しみにしていますヽ(^o^)丿
私が小学校低学年くらいまで、母は私と妹、そして時には私たちの
友達も一緒に毎年夏にはとしまえんのプールへ連れて行って
くれました。自宅から近いわけでもなく、入園料もそれなりに
かかっていたと思うのですが、おにぎりとゆで卵を持って母と
行った夏のプールは今でも私の大切な小さい頃の思い出です。
母が手術をする事になり、急遽私が付き添いをする事になりました。
麻酔が覚めかけてきたら、ずっと私の名前を呼んで、他の人は受け
付けません。遠くに嫁に行って親不孝をしてしまった私を、こんな
にまで気にかけてくれていたのが有難くて、涙が止まらなかったです。
子供の頃みかんはめったに食べさせて貰えなかった。
母の生家へ行くと庭のすっぱい夏みかんをもいで来て、酸味をごま
かす為、炭酸を付けて食べさせてくれた事を思い出します。
母との思い出〜〜ありきたりですが、子供の頃に母の日にお金のない
私は「お手伝い券」を作って、お皿洗いや肩たたきをしたのを覚えて
います。
うちの長男も5歳。
あと、何年で、同じような母の日のプレゼントをもらえるのかしら???
私の母はよくハッサクを買ってきては、食べやすいように
皮をむいてだしてくれました。
それは私が30歳をすぎてもそうでした。2年前まで。
母が病気で亡くなってからはそういえば口にしていません。
もう自分で食べてみようかな。
母の日の思い出・・・4歳の娘は、去年から幼稚園に通っています。
母親参観の時、「お母さんの顔」の絵&裏側に「子供の好きなもの」
を描いた手鏡をもらいました。
他の子供たちの作った手鏡には車やハートやお母さんの顔が描かれて
いるのに、我が子の作品は、赤で○や線みたいなものだけがいっぱい
書かれていました。
普段すごく元気でやんちゃな子なので日ごろ怒ってばかりいるから、
こんな絵をかくのかな・・・と悲しくなりました。
反省しながら「これは何の絵?」と聞くと、
「絵じゃないよ!よく見て!
「おかあさん、だいすき。いつもありがとう」
って書いてあるやろ」
ちょっぴり、涙が出そうになりました。
今年はどんなプレゼントをくれるのかな・・・楽しみです!
母の思い出といえば、匂いでしょうか。
私が小さい頃、母は水産加工の仕事をしていたので手がいつも魚く
さかったんです。
小学校に入ってからはケーキ屋さんで製造の仕事をしていたので
すごく甘いいい香りがしてました。
その次はスーパーで惣菜を扱っていたので揚げ油の香りがしてました。
結婚して家を出てからあまり意識したことなかったけど、今はどんな
香りがするのかな?今度あったら嗅いでみようと思います。
母が亡くなってはや15年になろうとしています。
いまどきめずらしい6人の子どもを育て、店を切り回し気難しい父
に仕え・・・
40キロにも満たないか細い体でいつも微笑んでいた母の偉大さは、
たった2人の子育てにも手こずっている私にとって心の支えになっ
ています。
お正月、みかんの底に数字をマジックで書き、歌を歌い終わった時
に自分の前にある数字のおもちゃがわが家のお年玉でした。
決して裕福ではなかったけれど、心は温かく乾いたのどはみかんが
潤してくれました。今でも兄弟が集まるとよく話題にのぼります。
私の母は、ずーっと働いていました。そのおかげで私や弟は、何不
自由なく過ごしてきました。自分が母になり、母に偉大さに気がつ
きました。
やっと定年になってゆっくりできるようになったので、これからは
父と二人、自分たちだけの時間を有意義に過ごしてほしいです。
うちの母は生臭いものが大嫌い。
いくらや鯖、いわしなんかは食べられない。
でもウニだけは大好き。
ウニは生臭くない!と言い切ってます。
私が小学5年生の時に母が入院していたのですが、母の日に外泊
許可が出たので、父と二人でカレーライスを作って、3人で食べました。
おいしく出来たのと、母が喜んでくれたのとで、楽しいひとときを
過ごせました。
母の日に関係ないですが、母は、八朔、夏柑等すっぱいとショヨウユ
をつけて食べます。おかしいと笑うのですが譲りません。
私は、そのまま食べるもしくは塩を振るですが同じ愛媛店長さんは、
ははのようなたべかたをしますか?
今年は初めて妻に「母の日」のプレゼントを考えています。
長男が3歳になり今月から幼稚園(年少)に通います。
二男はまだ7ヶ月です。
私も含めて3人の男性陣をささえている妻は母としても素敵でかが
やいています。
良妻賢母に対してのプレゼント・・・
私からは指輪を、長男からワインを、二男からケーキを・・・
初節句の二男とともに素敵な祝いができたらと考えています。
来年の思い出は今回のことがかけるかも知れません。
今回は思い出ではなく、思い出作りですね(笑)
母の日の思い出は、実は母親ではなくて、私が子供の頃、うちの家事
をしてくれていた母の知り合いのおばさんです。
うちは商売をしていたのもあって、そのおばさんが家事の大部分を
やってくれていました。
ある年の母の日に、そのおばさんにプレゼントを渡しました。
プレゼントといっても子供のお小使いで買えるレベルのものです。
おばさんの好きなグリーンの小さい手提げバックをプレゼントしました。
するとおばさんは泣いて何度もありがとうと言ってくれました。
誰かにプレゼントを渡して、涙を流されたのは、後にも先にもそれ
1回きりなので、今でも忘れられない思い出です。
母が小学校入学の思い出を書いてくれた文が、学校の文集に載った
ことが嬉しかったのを覚えています。
母の思い出はいつも元気な母ということです。その母が昨年、足を
怪我してしまい、家族は今まで母のおかげで色々助けられていたん
だなと思いました。
母の日プレゼント何が良い?
聞いても、母は、何にも要らないあんたが、元気でいてくれるだけで、
声を聞くだけで嬉しいと。。。
私も、あなたがいつまでも元気で、長生きをして欲しいだけですよ
母の日、ネグリジェを送っています。
もう、高齢なんですが、ロマンチックにこれなんです。
(本当は、締め付けるのがいやなので、パジャマより・・・なんです。)
なかなか似合っていて、かわいいですよ。
母への感謝の気持ちは、結婚して始めてわかった。
3年前に、実母が亡くなってしまいました。
急病で突然のことでした。
母が亡くなってから、いろいろ整理してみると、母の日に贈った財布に
「○○年、母の日に香奈子(←私の名前)からもらう」と亡くなる前
まで使っていた財布の中からメモが出てきました。
大事に使ってくれた母に、とても感謝しました。
もしもWチャンスが当選したら、亡き母の仏壇にお供えしようと思っ
ています。
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